深蒸し茶

2019年3月 茶況_No.346

令和元年3月3日

茶園では春に向けた管理作業を進めています。並行して生産者は各地で開催される研修会に積極的に参加しています。荒廃茶園が目立ち廃業する生産者や稼働を止める茶工場が目立ち始めていますが、これから先収益が確保できる経営ができるように新しい情報を仕入て経営改革を進めています。荒茶の平均単価は下落していますが、それでも経営が続けられるように平坦で機械化が可能な茶園に基盤整備する、他の農産物との複合経営にするなど研修内容は様々です。海外における農薬残留基準や抹茶生産の技術などの説明もあります。1191年栄西が日本にもたらした「抹茶法」が最初で1740年永谷宋円による急須で飲む文化が第2の変革期、1990年に始まるペットボトル飲料の流れが第3の変革期。これまでの喫茶文化の歴史と社会動向から推測するとペットボトル茶の流行もいずれ変化するので第4の流行を見定めることが重要との指南がありました。茶業情勢について懇談した際にはある茶商から「消費低迷で在庫過多の状況にある」といった指摘もあり、厳しい新茶になりそうです。

産地問屋は在庫調整を図りながら発送作業を進めています。2月決算の問屋が多く決算準備も進めます。売上減と人件費・資材・運賃増の負担により厳しい内容です。端堺期の荷動きはほとんどなく「今期は慎重な仕入姿勢になる」といった声も聞かれす。

消費地で新茶商戦に向けた企画を進めています。「不安・不満・不便」の不の解消に努めその中に商機ありと熱心に取り組んでいるお店もあります。1月の街角景気調査では2ヶ月連続のマイナスとなり飲食では客足が鈍く、中国の訪日客消費にブレーキが掛かり先行きに不安を感じさせる内容でした。米国ニューヨークの目抜き通り五番街にある二つの老舗百貨店が1月に相次いで店を閉じました。ともに100年以上の歴史を誇る百貨店でしたがネット販売の急成長や消費者の好みの変化で米国の小売業者も苦戦を強いられています。時代の変化は日増しにそのスピードを速めているようです。

 

「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」

2月21日スーパーボランティアの尾畑春夫さんが当社前をリヤカーを引いて通過しました。マスコミや尾畑さんを待っていた人達で大騒ぎです。食料を渡す人、ハグする人、一緒に記念写真を撮る人達にも丁寧に対応するために、なかなか前へ進めません。東京から大分まで1100kを徒歩で帰宅する予定でしたが、浜松で歩道車道ともに大混雑して、これ以上迷惑はかけられないと予定を急遽変更して車で帰路につかれました。「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉が好きで戒めとしているそうです。リヤカーの後方に立てた旗には「世界の子供達の幸福を願う旅」79歳と3ヶ月の挑戦と記されていました。尾畑さんに励ましの声を掛けながら拝み、薄っすらと涙を浮かべている人もいてまるで生き仏のような人でした。

 

 

俺がおれ我の「我」を捨てて、お陰おかげの「げ」で生きよ

 池井戸潤原作の映画「七つの会議」が大ヒットしています。中堅電気メーカーで起こった企業犯罪劇です。一時期、成功を収めたのに晩節を汚す経営者が多いのはなぜか、我欲に負けてしまえば社員の心は一斉に社長から離れ悲惨な結末にたどり着く企業物語です。

京セラ名誉会長の稲和夫氏は「経営の神様」を引き継ぐ最右翼の名経営者と言われています。その稲森氏は様々な会社の不祥事にこう切り込みます。

「私は戦後の日本を引っ張て来られた創業型の経営者の後ろ姿を学びながら今日までやってきました。皆さん、素晴らしい経営をされてこられましたけれど、晩年までいい会社の状態でもってハッピーリタイアされた方は非常に少ないですね。会社を破綻させてしまった人、会社は残っているけれど創業者自身がいろんな問題をおこして辞めていく、追放されてしまうケースもたくさんありました。会社を発展させる希有な才能を持っているのに、実は10年、20年、30年というスパンで素晴らしい人生を過ごしておられるケースは非常に少ないのです。それを見るにつけ、なぜそういうことになったのか、私はとても残念だなと思います。本来ならば素晴らしい経営者として周囲から称賛されながら晩年までいかなきゃならないのにどういうことなんだろうと。私は寝る間も惜しんで働き、一生懸命に頑張り会社を立派にして数十億円の利益を会社にもたらしました。俺がやったんだ、俺の才能で、俺の技術で、俺が寝食を忘れて頑張ってきたのに、どう見ても割が合わない。会社の利益に比べれば自分の報酬は安い、もっともらっても良いのではないかと思った時期もありました。自分がいなければ今の会社はなかったという強い自負心を持っていました。しかし、私は行動に移さず立ち止まりました。1971年株式上場の時、考えてみたことのないお金が入ってくる話が舞い込みました。私に何億円というお金が入るという、これは悪魔のささやきではなかろうかと思い、持ち株はただの一株も市場に出しませんでした。自分が変わってしまうことを私は極度に恐れたのです。この時の決断が私が人生を間違うことなく歩いてくることができた元になっているような気がします。半導体が勃興していくには、ある人物が必要だった。たまたまそれが稲盛和夫であっただけで、同じ才能を持った人が代行していても良かったはず。社会は壮大な劇場で、その劇場でたまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。それは稲盛和夫である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。今日は主役を演じているけれど、明日の劇では別の人が主役を演じても良い。にもかかわらず「俺がおれ我」と言っている。それこそが自分のエゴが増大していく元になるように思うのです。エゴを増大させていっては身の破滅だと思った私は、それからはエゴと闘う人生を歩いてきました。」

稲盛氏ほどの名声を手に入れれば誰かに頭を下げる必要もなくなり楽をしようと思えばいくらでも楽ができます。しかし、老境の域に入った今もエゴが頭をもたげようとするそうです。私たちは心の中に「良心という自分」と「エゴという自分」を同居させているので、お釈迦さまは「足るを知りなさい」と諭しまた。「俺がおれ我」「もっともっと」と際限もない欲望を膨らませていてはいけません。エゴが増大して周囲から手がつけられなくなったとき、経営者は判断を誤り、社員の心も離れていくのです。

カルロス・ゴーン元会長の捜査の行方はいまだ判然としません。ゴーン氏は間違いなく日産自動車復活の立役者です。「自分がいなければ今の日産はない」私が一生懸命に頑張って会社を立て直し利益の出る会社にしたんだという強い自負を持っているでしょう。もし、「俺がおれ我の「我」を捨てて、お陰おかげの「げ」で生きよ」の言葉が少しでも脳裏をかすめたなら、こんな結末には、ならなかったような気がします。