深蒸し茶

2013年11月 茶況_No.294

平成25年11月27日

生産農家は冬に備えた茶園管理に努めています。定期的に茶園を巡回して風が強く当たる茶園には垣根や防風ネットを設置して防風対策に努めます。昨年に刈って枯らしておいた山草を茶園の畝間に敷く生産農家もあります。掛川市を中心とする茶園で伝統的に行われてきた「茶草場農法(ちゃくさばのうほう)」が国連食糧農業機関(FAO)によって「世界農業遺産」に認定されましたので、この農法が子供・孫達まで引き継がれるように一生懸命、作業に従事しています。茶園周辺の里山で刈り取ったススキやササなどを茶園に有機肥料として投入する「茶草場農法」は希少な動植物を育む里山を守り、生物多様性の保護に貢献しています。春にはハルリンドウ、夏にはササユリ、秋にはワレモコウなどの花々が里山でよく見られます。また山草を土の上へ投入することによって防寒対策や乾燥対策になり保温効果もあります。農水省がまとめた2013年の茶園面積は静岡18,300㏊(40%)、鹿児島8,660㏊(19%)、三重3,150㏊(7%)、京都1,580㏊(3.4%)となっています。静岡県内では30年前のピーク時からは茶園面積が20%減少、茶農家数は四分の一まで減少しています。特に中山間地の生産効率が低い茶畑を中心に耕作放棄地が広がっていますので、県もその対策に真剣に取り組んでいます。

産地問屋は仕上・荷造りなど、年末需要の出荷に対応しています。各地で開催された品評会の入札販売会は、上級茶の落札率が低い傾向が顕著でした。粉茶・棒茶等の出物類を除いては問屋間の荷動きもほとんど見られません。静岡市で開催されたある商談会では、販売数量は過去最高を記録しましたが、売上総金額は5036万円と前年比18%減でした。販売平均単価は荒茶598円(前年比419円安)と、ほとんどがドリンク原料を大量に買い求める商談だったようです。これまで茶業を支えてきたのは急須で淹れる上・中級茶ですが、国内需要は先細りとなり、先行きの不安感は増すばかりです。唯一元気なペットボトル原料も、海外で原料エキスを製造して輸入する形になれば茶業界は、もっと厳しい状況に追い込まれます。

消費地では「歳末商戦」を迎えています。景気先行きの不透明感もあり、顧客の囲い込みをねらってセール前倒しに踏み切る傾向にあります。各お店がセール前倒しに熱心なのは、消費者の財布のヒモが固くなるのではとの不安があるからで、ライバルより一足先に顧客を呼び込む狙いがあるようです。消費増税前の駆け込み需要が高額商品を扱う業種では顕在化していますので、年末商戦の盛り上がりに期待していますが、各お店の贈答需要には厳しさを感じます。「このお店でしか買えないものを」というお客様の要望に応えて、定番商品とは別に一味加えたプレミアム商品を薦めているお店もあります。

人口減少・高齢化・TPPなど、世の中が今まで以上に大きく変化するとき、変化をチャンスととらえて、その変化に立ち向かい「変化対応力」を発揮していくことが強く求められています。セブンイレブンの鈴木敏文会長は「これからの10年をどう見ますか」との記者の質問に「正直言ってわからない。これまでだってわかったことなど一度もない。わかっていることは国内でも大きなチャンスがあるということ。これまでも神経を研ぎ澄ませてニーズを探ってきた。お客様を見続ける、それ以外に道はない」と答えています。新興国の好景気が一段落して、シェールガス開発によるアメリカ、アベノミクスの日本が、これからの世界景気のけん引役となれるように期待は高まります。

 

 

銀 二 貫

 

「銀二貫」は大阪の本屋と問屋が「ほんまに読んで欲しい本」に選んだ大阪商人の物語です。物語は江戸時代の商人の町、大阪が舞台です。天満にある寒天問屋の主人和助は火事で焼失した天満宮に銀二貫(今の金額にして200万円位)を寄進しようと取引先に集金に行った帰り道、突然仇討に遭遇します。刀を振り上げた若侍の前には父親と男の子の二人連れ。父は刀に倒れますが、男の子を切ろうとしたその時「この仇討、わたいに銀二貫で買わせて頂きとうおます。」と和助は、その仇討を買い上げるのです。その男の子鶴之輔は侍を捨て、寒天問屋井川屋の丁稚松吉として生きることになります。通常、大阪の商家では奉公人が本名で呼ばれることはありません。丁稚の間は語尾に「吉」、手代になると「七」、番頭で「助」がつく。それゆえ、本名が鶴之輔ならば丁稚の間は「鶴吉」、手代になって「鶴七」、番頭になれば「鶴助」というのが順当な名称でした。だが井川屋に以前、暇を取らせた「鶴吉」と名付けた丁稚が居たという苦い経緯があった。主人の和助は天満宮の境内に幹が焼かれてなお、すくっと立つ老松の姿を思い出した。「ええか、鶴之輔。お前の名前は今日から松吉や。井川屋丁稚、松吉。それがお前はんなんやで」苗村藩士の子息、10歳の彦坂鶴之輔は「松吉」という新しい名前で、天満の寒天問屋の丁稚として生きていくことになったのである。商人としての厳しい修行と躾を受け「始末・才覚・神信心」が大阪商人の日々の生活の要として松吉は日々の苦しい修行に耐えて成長していきます。

 

銀二貫は、もともとは火事で焼失した天満宮再建のために寄進するものでした。その大切なお金を仇討を買うことに使ったことに信心深い番頭の善次郎は快く思わずに松吉にきつく当たります。「松吉、お前はんは店の掃除、使い走り、台所の手伝い一切、とにかく言われたことは手抜かんとしっかり働くんやで」、「はい」と板敷に手をついて松吉は答えた。途端に番頭の善次郎が目を吊り上げる。「何だす。その返事の仕方は。丁稚の返事は『へえ』だすで!!」それを見て、主人の和助は「身を粉にしてよく働く松吉は見所あり。うちで育てると、私の決めたことや」主人にそうまで言われては、番頭は黙るしかありません。善次郎は唇をぐっとかんで畳に両手をつき「そしたら旦那さん、ひとつだけお頼もうします。天神さんへの銀二貫、何とか、一日でも早うに」そう言って額を畳に擦り付ける。主人の和助は「善次郎、堪忍やで、お前はんの気持ち、私は忘れへんからな。銀二貫を貯めるんは容易やないやろが、これからまた商いに精出して必ず寄進さしてもらうよってに」とその場を収めます。

 

ある日、寒天を配達に行った時、松吉は店の板前の「もっと腰の強い寒天があれば、もっと料理の幅も広がるやろ」の声を耳にします。主人・番頭さんの許しを得て、松吉は冬には原村の寒天場へ籠り、夜通しの凍て作業に励みます。腰の強い寒天を何度も何度も試作します。細かい試みを数年間繰り返した後、これならばと思う手法を見出すのです。そうして出来上がった寒天は純白の絹糸のように繊維の一本一本が輝いて見えます。「糸寒天」と名付けられた寒天は、これまでの「角寒天」では出ない食感があり飛ぶように売れます。大阪中の寒天商の中でも井川屋の売上は際立ち、井川屋は見事に息を吹き返したのです。

井川屋の取引先に「真帆屋」という料理屋があります、そこの料理人嘉平と愛娘真帆らに松吉はたいそう可愛がられます。井川屋の寒天を使った真帆屋の看板料理「琥珀寒(こはくかん)」は、目当てのお客で行列が出来るほどでした。寒天地の中に卵黄と卵白。「琥珀寒」と名付けられた寒天料理を求める行列は連日、船越町から平野橋に達するまで延々と続きます。しかし、またもや大火が町を襲い真帆屋は焼失し、嘉平は亡くなり、真帆は火傷を負い町から姿を消します。それからの松吉は苦悩の日々が続きます。

 

ある日、松吉は土産に買った羊カンを口にします。口に入れた途端、ああこれは違う、偽物だということが分かった。小豆の風味が完全に消えてしまっていた。餡の量をけちって、代わりにつなぎの粉を倍にして蒸してある。粉も多分米でなくて麦を使っているようだ。餡だけでは、どんなに蒸しても固まらない。固めるために使うものを「つなぎ」と言う。松吉はそこで考えた。寒天で「固める」と思うから完成した姿が浮かばないかもしれないが、それを「つなぐ」と考えればどうか。松吉は手にした「蒸し羊カン」をじっと見つめた。それからは餡を相手に格闘の日々が続きます。どうしても餡と寒天がきれいに混ざり合わないのです。もし糸寒天をつなぎに使えたら賞味期限もひと月は持つ。それに寒天は相手の色を損なわないから、きれいな艶やかな羊カンに仕上るはず。簡単に諦めるなと自分自身に言い聞かせ、試作を繰り返しますが、餡と寒天がどうしてもきれいにつながりません。そしてついに「漉し餡」でなく「生餡」を使うことによって、糸寒天が餡をしっかりとつなぎ、けれど決して出しゃばっていない世にも美しい「練り羊カン」を作り上げるのです。店は「糸寒天」を買い求めに来る商人や菓子職人達で溢れかえり、その賑わいは和助の隠居部屋にも届きます。ああ、今日も繁盛や、ありがたいと和助は安堵するのでした。

 

晴れ渡った空のもと、井川屋主人和助は、大番頭善次郎と正式に養子に迎えた松吉とに抱えられるようにして、天満宮に念願の寄進に出向きます。「天神さん、えらい遅うなりました。約束の銀二貫、確かに寄進さして頂きましたで」和助が鶴之輔を連れて、ここで誓いを立ててから実に22年の歳月が流れていました。この日を迎えるまで気の遠くなるほど長い長い道程でした。無事、銀二貫の寄進を終えて安心したためか82歳になった和助は寝込むことが多くなった。そんなある日、布団から手を出すと番頭の善次郎に手招きする。善次郎のその耳元に和助は内緒事のように囁いた。「なあ善次郎、私はええ買い物したなあ」22年前、銀二貫で仇討を買ったことを言っているのだと悟った善次郎は、涙声でこう返答した。「へえ旦那さん、ほんに安うに、ええ買い物でおました」

 

今、日本の企業社会では効率化と利益確保の徹底がはかられて、人間らしい無駄がなかなか許されない社会になっています。松吉が和助に命を救われてから22年の歳月が流れ、その22年間に一貫していることがあります。「商人にとって一番大事なんは信用」との思い。そして、情け深い人々の支え。絶対に「ええ話しやった」と思ってもらえる物語です。

 

「銀二貫」 高田 郁 著 より