深蒸し茶

2011年10月 茶況_No.271

平成23年10月14日

茶園では秋冬番茶の摘採が終わり、来年の一番茶に向けて、摘採面をそろえる化粧ナラシなどの整枝作業に取り組んでいる茶農家の姿が見られます。秋冬番茶の製造が始まった当初は売れ行きを心配する声もありましたが、1~2割の減産予想が言われ始めてからは大手のドリンクメーカーや量販店向けの買いが入り、終末期には思うように荷が集まらなかった問屋もあったようです。秋冬番茶の終了をもって、今年の荒茶の製造がすべて終了し、製造されたすべての原料が県内各問屋の冷蔵庫に収まりました。需要期をむかえ、これからこの原料が順調に消化されていくのか、今年ほど不安を控えての需要期入りは過去に記憶がありません。

県茶業研究センターが茶の放射能に関する研究成果をまとめました。静岡県内の茶園は放射性セシウムの濃度が低いとして、通常通りの管理徹底で問題ないと発表されました。セシウムが新芽に集まるメカニズムについては土壌から吸い上げるのではなく、古葉から新芽に移動するとの見方を報告しました。その他、防寒対策として例年のように山草を投入するとセシウムが外から持ち込まれる可能性があるので注意すること、セシウムを吸着しやすいとされるゼオライトをはじめ堆肥やカリウム肥料を使って実験しましたが、生葉への効果は見られなかったと報告されました。

産地問屋は仕上と発送作業を進めながら、秋冬需要の動向について消費地と情報交換を進め、秋冬商戦に向けた企画等も提案しています。県茶業会議所と茶業中央会の新会頭に元掛川市長、榛村純一氏が就任し、茶業振興に向けたその手腕に期待が集まっています。掲げる共通目標として①緑茶の健康作用を消費者に分かりやすく紹介する②国産を国内で消費する「和産和消」運動の推進③茶の文化・美学の啓蒙を3本柱として、世界一の健康長寿国になった日本の良さをあらためて見つめ、和食文化「お米100キロ、お茶2キロ、魚60キロ」を年間摂取量として呼び掛けます。緑茶をよく飲む健康長寿者をたたえる「緑茶人間の日」の制定も実現に向けて動き出しました。

消費地では秋冬商戦の企画と販売戦略を進めています。埼玉県では、これまで国と県の検査で19銘柄から規制値を超すセシウムが検出されたことから、2600銘柄すべてについて検査を行い、安全性が確認されたものから順次、販売を再開するように通達が出されましたが、関係者の間では困惑が広がっています。「販売再開までに時間が掛かりすぎる。風評被害は計り知れない。今後どうなるか心配だ。」との切実な声も聞かれます。特に贈答用への影響が心配されます。新聞・テレビ等で報道されるたびに店頭での問い合わせも多く、茶業界全体への風評被害は計り知れないものがあります。

総務省家計調査によりますと8月の一世帯当たりの緑茶購入数量は前年比15.6%増、支出金額は3.2%増と前年実績を上回る発表に、関係者は喜んでいます。暑いときに飲む冷茶需要の伸びなどが要因と報告されましたが、若者は年間を通して冷茶を好むようです。

需要に活気が出始めましたが、前年と比べると売上は2割ほど低く、年末に向け贈答関連の注文をどこまで確保できるかが今後のヤマ場となっています。

 

近江商人魂

 

NHK大河ドラマ「江」の舞台、琵琶湖周辺は、江戸時代に近江商人が天秤棒を担いで他国商いに旅立った地です。江姫の父、浅井長政が治めた北近江は近江商人を輩出した地域に接し、乱世の舞台です。琵琶湖周辺は東国から京へ上る道筋になるため、古くから豪族や武士の覇権争いが相次ぎ、人々は権力闘争に翻弄され続けました。商人は安定した庇護を受けられず、商機を外に求めるしかなかったようです。そして、自分の力で生きるしかないと悟った商人が、地元の物産を天秤棒に引っ提げて、他国商いに活路を見出したのです。行商を繰り返していく中で、実践をとおして商売の勘とコツを会得していき自分の足で自分の市場を開拓していったのです。本境地である近江から、他国に出掛けていき、必要とされている物を売り歩く、このスタイルが近江商人の原点です。商売が成功を収めると、その地域に出店(支店)を設け、地域の需要に合った商品を全国から仕入れして商いをしました。一部は中国や東南アジアにも進出するなど、進取の気性に富み、ビジネスチャンスがあればどこにでも単身乗り込んで積極果敢に市場を開拓していったのです。たった一人で、自分の知力と体力だけを頼りに、日本の隅々まで歩いて人々のニーズを充たそうとした近江商人達。その行商人のシンボルは天秤棒です。その手垢と手脂の染み込んだ天秤棒で、見たこともない地域に住む人々のために必要な品を届ける、その一心は人として商人として生きる手引きにもなるものでした。そして、何よりお客様の喜ぶ笑顔を心の糧として、全国津々浦々に行商して、やがては豪商へと出世していったのです。「近江商人魂」といわれるこの精神は商業道の初心・原点ともいわれるもので、脈々と今も守られています。近江の商家の家には今でも初心忘れることなかれと、店の片隅に天秤棒が掛けられている家を多く見受けます。日本を代表する多くの企業(伊藤忠・丸紅・高島屋・三菱UFJ・三井住友・日本生命など)が近江商人にルーツを持ち、その厳格な経営理念は家訓として代々受け継がれ、商いの現場でも徹底されました。よそ者である近江商人が各地で受け入れられたのは、こうした高い理念と倫理観があったからです。各商家の家訓は「質素・倹約・知足・忍耐・正直・信用・勤勉・堅実」など商人として生きる手引きです。その言葉のはしばしから、中国の儒教の教え四書・五経の影響が色濃く感じられます。そのために保守的な守成の面を重視したものとなっていますが、その根底にあるのは事業を永続させようという強い意志です。そのために後継者に対しては常におごりや慢心を戒めました。そして目先の利益を追わず、何代にもわたって続く商売を経営理念としたのです。

近江商人が勢力を拡大した江戸の後半期は飢餓や財政の逼迫など、厳しい時代でした。企業の地力が試される淘汰の時代であるという点で、当時と今の状況は非常に似ています。近江商人達はそんな状況を生き抜くために、徹底して贅肉をそぎ落として強固な財務体質をつくり上げ、それを土台にして積極的な攻めの経営を実現しました。そしてその結果、不況というピンチを勝ち残るためのチャンスへと変えることに成功したのです。天秤棒を担ぎ、待ってくれている人々のために汗を流す。「近江商人魂」は苦しみながら事業を継続する企業や、現在の日本の閉塞感を打破する手掛かりとなるものです。